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フェイスブックがあって、ツイッターがあって、ラインがあって、アプリがあって、スマホがあって、タブレットがあって、、、
今度はファブレットなるものがでるらしいです。
(※ファブレットとは、スマホより画面が大きく、タブレットより小さい通話機能のある端末)

インターネットでサービスを提供する側からすると、常に時代にあったサービスを提案していくために、まずその新しく出たサービスを見つけ、理解し、どんなメリットがあるのか確認し、その上でどのような状況になるのか想像し、更にその上で良い提案につながらないか考える、

こんな繰り返しなのだけど、ここ最近は、もう全てを忘れてしまった方がよいのではないかと思うようになりました。

なぜなら人一人でそんなに沢山の情報を理解し扱うことは難しいし、もし仮に全て理解していけたとしても、そのごちゃごちゃな世界で一人奮闘することになってしまい、周りがどんどん見えなくなっていくからです。

そう、どんどんどんどん、ネット博士になっていくだけ。


10年以上前、ホームページ制作をしていた頃は、こんな世界がなくはなかったけど、横目でちらっと見ながら、別にいいや、新しいものばっか追ってるのは疲れちゃうし、そんなの俺にはできない。
そんな風に思っていました。

が、今はどっぷり浸かってしまっている。

嫌なことほど避けられない運命なのだな、と感じながら、その世界にいる以上何かの役割を果たさねばと感じています。


そしてこの現代、みんな競争しすぎです。
そしてみんな、躍らせれすぎです。
私も含め、みんな踊りまくっています。


例えば、おもしろいサービスやアプリは沢山あるけど、本当に必要なものってどのくらいあるのでしょうか。

今、ラインゲームのポコパンが何故か習慣になってます。
時間のほうが大切なはずのに、気付けばその惰性に身を委ねてしまっている自分がいます。

ゲームが趣味だという人はそれが目的なわけだからいいと思うのですが、そうではない自分にとってはやはり害ではないかと思います。
擬似達成感の後に残るものは何もありません。
あるとすれば虚無感ぐらい。


つまり、こんなサービスがインターネット上には溢れ返っていて、あってもいいけどなくてもいいサービス、(人によっては)ないほうがいいサービス、また、必要なのか必要じゃないのかわからないサービス(←当社サービスもこの一つに該当してしまうのではないかと思います)。

こんなサービスで溢れかえっています。

そこにスマートフォンの登場で、ますますこれらの世界に触れる時間は長くなったわけで、判別も付かないままに惰性の時間が有効な時間を上回り、最終的には、お金も時間もそこに吸い込まれる(浪費される)量のほうが多かった、という結果になってしまうのではないかと思います。

これは、インターネットのサービスを提供する側も、それを利用する側も意識しなくてはならない事だと思います。
特に、サービスを提供する側は、時間を奪うのではなく、時間を提供することを意識していくことに価値があると思います。


そして、益々ごちゃごちゃしてきたインターネットの世界、渦中で踊っている自分だからこそ、今までの反省も含め、他の人を無駄に躍らせずに済むようナビゲートしていけないかと考えています。


まだ答えは出ていません。

ただ、システムなどのハードだけでは解決できず、また、提言などのソフトだけでも不十分であることは感じています。
ハードとソフト、そしてもう一つの原動力となる3つめの大切な力が必要だと感じています。


それら全てを含め、一つのスタイルとして求められる何かを生み出すことも、自分自身に与えられた使命でもあるように感じます。

踊りまくっている自分を客観的に見つめ、このごちゃごちゃした世界を紐解きながら、次の時代に向けた本当の豊かさにつながる何かを少しでも見出し創出していきたいと思います。


次は時間を生むサービスが注目されてくると思います。
インターネットサービスを提供するみなさま、次はそちらに舵を切りながら意識していきましょう。

そしたらきっと、インターネットはもっともっと魅力的なものになると思います。

この「流れ」をつくることこそ、複雑なこの世界を切り開く3つ目の力になると思います。

私も微力ながら、その流れをつくっていきたいと思います。



・・・まずは自分の頭の中のごちゃごちゃ、整理しなきゃ、かな?


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