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category: 夢への一歩
April 4, 2011

こんな時代はどうだろう。

震災から3週間が経ち、自分の中でもいろいろと思うことがあり、今まで以上に真剣に、また素直にものを考えられる機会が得られるたように思っています。

助け合い、励ましあい、協力し合って良くして行こうという姿には胸を打たれ、本当に望んでいる純粋な気持ちに共鳴してか感動し、自分もそうありたいという行動に方向付けられます。

そしてこれは誰もが持っている大切な心、人間が本来持っている正義や愛が健全な形で出てきた姿のように感じます。

海外からも応援してくれる方々が沢山います。
貧困にあえぐ北朝鮮からも寄付がありました。(政治的な意図があるかどうかに関わらず)

もし、これが50年前だったらどうだっただろう。

本来持っている気持ちは変わらなくても、起こした行動や反応、波及性などは全く違っていたのではないかと思います。

文化も栄え、インターネットなどの情報網が発達し、個人同士も国を超えてコミュニケーションできる時代になったからこそ、このような輪が広がっているようにも思えます。


今日、竹島が日本の領土か韓国の領土かという問題の中で、日本の教科書が竹島は日本の領土だとして教科書に載せ、それを韓国が非難しているというニュースがありました。

教科書に載せるということは教育そのものに関わり、国民の価値観を決定付けてしまう非常に重大で間違えると非常に危険な行為で、法律以上に基本を揺るがす重要な部分だと思います。

あいまいな状況であるならば、あいまいな状況だと教科書には書くべきです。

想像すれば分かると思うけど、もし、自分が韓国側の人間だったらどうでしょうか?
逆に韓国人が日本側の人間として考えたらどうでしょうか?

誤解を招きながら両国の間に溝ができるだけです。
国民同士は友好関係を持ちたいのに、国と政治がそれを引き離そうとしているようにさえ感じてしまいます。

お互い自分の損得のために答えの出るまで取り合うだけで何も生み出しません。
全く無意味だと思います。

国も成長し、環境も変わり、世界との関わりの定義も変わってきた現在ではもう少し大人になってもいい気がします。

このようなニュースを聞くと寂しくなります。

竹島はせっかく間にできている島なのだから、「シンボル島」とでもして、両国友好のシンボルになるような島としてもいいのではないでしょうか。
どちらの所有物、と決める必要が本当にあるのでしょうか。
領有権も共有した方が両国の利益になるのではないでしょうか。
そもそも、その議論を続ける時間と費用をかけるより、新しい定義のための知恵を絞る時間にあてた方がいいのではないでしょうか。

アジアの中で先進国である、日本と韓国が協力して新しい国の定義を打ち出すイノベーションを起こしてくれたら、どんなに素晴らしいことだろうと思います。

北方領土にしても同様です。

日本とロシアの間のシンボル島として位置づけることができれば、更に友好を築くチャンスではないかと思います。
握手をするための物理的な接点は、これからの世界を大きく前進させるとても価値あることのように思います。

政権争いと保身主義が根付いてしまった日本の政治環境下では不可能に近いように感じてしまいますが、なんとかそんな時代が創れないだろうか考えてしまいます。
政治の陳腐化が浮き彫りになりつつある今日では、変革の兆しが見えなくもありませんが。。

国難といわれるこのチャンス、世界中が考えるきっかけとなったこの震災、命を落とされた多くの人々、残された遺族の方々のためにも、この機会を真剣に受け止め今後の指針とすることが国をはじめ、一人一人の責務であるように感じます。

私自身もこの気持ちを忘れることなく、でき得ることを進めて行きたいと考えています。
今や一人一人の思いは伝わる時代です。

一人一人が思いを持ちながら世の中を作っていく、そんな時代を夢見ながら、私たちが行うこの事業も世の中の機能として提供して行くことができたらと思っています。
そして少しでも貢献できたなら、こんなに嬉しいことはありません。

国境も超え、各国が平和と愛に満ちた時代を創ろうとしていく時代。
生きているうちにそんな時代を見てみたい。創っていきたい。

そんな時代、いかがでしょうか?




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