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category: 夢への一歩
June 19, 2009

小さくて、いい会社を目指す。

いい会社って何だろう?

いろんな意味でいい会社ってあると思うけど、普通に考えると

売上が高く、利益もたくさん出していて、従業員の満足度も高くて、お客さまからの指示があり、社会に貢献している会社。

大体、こんなイメージだと思う。

でも、この基準や価値観って実は凄く偏っているような気がする。

「売上の大きさ」 = 「社会に提供している価値の大きさ」

こんな価値観が根っこにあるんじゃないだろうか?


東京で1年間営業活動をして、栃木に拠点を戻し一番感じること。

東京のビジネスは早い、規模も大きい、知識や技術も最先端を感じる。
しかし、そのほとんどが「何のため」のビジネスなんだろうか? と元も子もなくなってしまうような素朴な疑問がわいてくる。

例えば広告業界においては、相手を儲けさせるためにサービスを提供し、営業活動を行う。そしてサービスを提供する会社もまた、その会社を維持し、成長させるために広告宣伝を行う。
また、売上を伸ばすために営業体制を強化し、人員を増やし、それを維持するために売上を目指す。
そのコストは商品単価を上昇させ、価格と価値のバランスが保てなくなる。
またそれを補うために対策を講じる。
上手な会社は利益を残し、雇用や納税という形で社会に貢献する。

この繰り返しが経済を支えているのかもしれないが、本当にこれからの時代も通じることなのだろうか?

株式市場を見ても、株式の公開は価値ある企業がより成長し社会に価値をもたらすために資金調達の場を与えるものなのだと思っていた。リスクをとった株主にリターンが得られるというのはわかる。

しかし、その本性はリターンを目的に会社に投資する株主や、個人の資産を増やすサービスを成り立たせるための市場などで埋め尽くされているような気がする。
そして彼らは売上と利益の最大化を目指せと口をそろえる。

それが経済で支え合いというものだと言われれば確かにそうかもしれない。
でも、どこか違うような気がする。
これからの時代にも通用するという自信が持てない。


「売上の大きさ」 = 「社会に提供している価値の大きさ」


この構造が崩れたとしたら?

今、人が求めているのは便利な暮らしや裕福な暮らしだけではない。


「社会に提供している価値の大きさ」 = 「会社の価値」


こういう基準を軸においてみてもいい時代なのではないだろうか?

証券取引所もこの基準に従った市場など創ったら面白いのではないだろうか?

社会に提供する価値を広げるために会社を興し、競い、上場を目指す。
より価値を高めるために市場から資金を調達する。

株を購入する側はその会社の理念や行動、価値に共感し、支援する。
政治の役割を市民が担う。
税金を軽くし、民意による柔軟な国づくりが進められる。


そんな時代が訪れてほしいと思う。

いや、そんな時代を作ってみようと思う。


この会社を通じ、どこまでできるか分からないけど挑戦してみたいと思う。


どうせ上場目指すなら、そんな市場を提案しながら目指していきたいと思う。
そしたら少しは時代が動くかも。


もっと力をつけなくちゃ。



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